バスルームの明るい光の中に出ると、Lの腹や肩には多数の痣が出来ていた。
それは月も同じで、お互い痛々しい様になっている。
それでも切り傷はないので、湯に入っても痛くないだろう。
そう月が判断してバスタブに湯を張り始めると、Lがいきなり中に入ろうとした。
「ちょ、待てよ!」
「寒いんだけど」
「せめて先にシャワー浴びろよ」
「何故?」
「え……それは、いきなり入ったら、湯が汚れるし」
Lは親指を下唇に当てながら、少し上を向いた。
沈黙と、その呆けた表情に月がやや不安になった頃、Lは唐突に月の身体、そして自らの身体を珍しそうに睨め回す。
「夜神くん。体毛薄い方だって言われる?」
「は?え?」
「僕、薄い方だと言われた事があるんだけど、夜神くんとは同じ位だと思って」
「……と。突然だな」
「照れ隠しだよ」
「多分……その日本語、間違えてる」
月がコミュニケーションを諦めてシャワーを出すと、Lは目を閉じた。
「?」
ざあざあと、雨のように降り注ぐ湯に月が身をさらし、傷をチェックしているといつの間にかLが大きな目を見開いて月を凝視している。
「今度は、何」
「や、夜神くんより僕の方が、腋毛は濃い」
「ああ……そう」
髪を洗い、手櫛で後ろに撫でつけると、Lが最初から一歩も動いていない事に気付いた。
そんな所にいたら、シャワーの湯が掛かって……と言いかけて、月は漸く気付く。
「……もしかして、俺に洗って貰うの待ってる?」
「うん」
「……」
「先に自分を洗い始めたから驚いた」
俺の方が驚愕だよ……と思いながらも、もう何を言っても無駄だ。
月は黙ってLに近付き、その頭から湯を掛ける。
そう言えば、大学でシャワーを浴びた時も、こいつはろくろく洗っていなかった。
裸でシャワールームに入ってきて、湯を出しただけだ。
まさかとは思うが、本当に自分で自分の身体を洗ったことがないのかも知れない。
それにしても色が白いな……。
裸の同性に、こんな距離で抱きつきそうな姿勢で、近付いたのは初めてだ。
「目に水が」
「ああ、ちょっと座ってくれる」
Lは黙って、どこかいかがわしい形をした浴用椅子に腰掛ける。
「俯いて」
「僕の視界が不自由になったからと言って、殺さないでよ?」
月はもう何も言わず、シャンプーを手にとってその髪をくしゃくしゃと泡立てた。
「小さい頃、粧裕の髪を洗ってやって以来だ」
「うん?」
「人の髪を洗うの」
「そう」
「一般的にはね。人は少なくとも小学校に上がったら自分で自分の髪や身体を洗う」
「そう。それは僕に対する嫌味かな?」
「だね」
Lは泡立った髪のまま、顔を上げる。
白い浴室で、その目の下の隈は一層黒く、唇は一層紅い。
「僕は一般じゃないから」
「ああ。それが分かってるからこうやって洗ってやってる。
……キラだけど」
最後は試すように捨て鉢に付け加えたが、Lはニヤリと口の端を歪めただけだった。
「シャンプー流すよ。下向いて目を瞑って。息が心配なら口開いて」
Lは幼児のように言う通りにし、月が掛けたシャワーの湯はLの髪の泡を洗い流していく。
日本人である月よりも真っ黒な髪が、白いうなじで左右に分かれていた。
「終わった。今度は身体洗うから立って」
Lは腰を上げて、両手をだらりと下げたまま無造作に立つ。
月は、こいつはマネキンだ、魂のない人形だと自らに言い聞かせながら首、肩の辺りから順に洗っていった。
やがて。
腰骨の辺りを洗い、不自然な手つきにならないよう意識しながら軽く股間を洗う。
それから膝を突いて腿を洗っていると……目の前の物が、ゆるやかに勃ち上がって来ていた。
月は気付かない筈はないのに、気付かない振りをしていたが、
「あ。勃った」
Lは全く忖度しなかった。
「……」
「どうにかして」
「え?」
月は思わず眉間に皺を寄せ、見上げてしまう。
ライトを背に逆光で見下ろすLは、まるでチェシャ猫のようだった。
「……とか言ったら、どうする?」
「どうもしない」
「キラがさぁ」
月がぴくりと震えると、Lの唇は益々裂ける。
「僕の前で跪いて、奉仕してくれてるんだ。
どうしたって興奮するよ」
「……!」
月は。
シャワーヘッドを手にとって手早く目の前の茂みと肉の棒に湯を掛け泡を洗い流すと。
その先端を、口に含んだ。
「やっ!……が、み……」
手でも良かった。
もっと言えば、Lの言葉を全てスルーして何事もなかったように洗い終わるべきだったかも知れない。
だが月は、どうしてもLに一矢報いたかった。
その漆黒の瞳が有り得ない程見開かれるのを。
紅い唇が開くのを、尖った真っ白い歯を。
絶対に、見たかった。
中途半端な事をしてまたチェシャ猫のように笑われるのは、絶対に、嫌だった。
月の期待通りLはよろけて後ずさり、それは水羊羹のように唇をすり抜けて逃げて行く。
「どうしたんだ?」
「……」
「どうにかしてと言ったのは、おまえの方だろう?」
Lは素直に口惜しそうに目を細めた。
「……そうだね。
でももう必要なくなった」
言いながら視線を落とすと、そこはもう張りを失って垂れている。
「お風呂、もう入っていい?」
「あ……うん」
今度は月が呆気にとられて腰を上げかけると、Lは浴槽に片足を入れたまま中腰の月の方に片手を差し伸べた。
「何?」
「一緒に」
「……」
「二人入れる大きさだよね?」
月は……仕方なくその手を取る。
自らがキラであり、捕らえられた身だという負い目が、催眠術のように月の矜恃を奪っていた。
大きな浴槽は、さすがに男二人が入っても余裕がある。
向かい合わせに座り、お互いに足を延ばすと、Lの白い腹の大きな痣が、水中に咲いた血の花のように鮮やかだった。
「痛たたた」
「……お前だって、遠慮なく殴ってくれたよな」
「お互い様だね」
月は水中の自分の手を見つめる。
つい数十分前、握りしめてLを殴ったこの手。
まるで、夢の中の出来事のようだ。
デスノートを拾って、死神が現れて。
沢山に人間をこの手で殺しただなんて。
有り得ない事のように思えてくる。
が、掛け値無しの現実だ。
「どうしたの?」
「え、いや……」
Lが、座ったまま腰をずらしてにじり寄ってくる。
「月くん」
「……その。キラ事件、や。
デスノートの事について聞かないのか、と思って」
Lは嬉しそうに目を細めて、ニッと笑った。
「勿論、訊くよ?」
「……」
「でも、こんな所で聞いたら勿体ない。
もっと部屋で落ち着いて……例えば、ベッドの上で」
Lはするりと長い指を月の腕に絡ませる。
「……っ!そういう、誤解を招きそうな言い方は、」
「誤解?誰も聞いてないよ?それに“あんな事”をしておいて」
「でも」
「僕が君に着いて来たのは」
Lの指は月の肌を名残惜しげになぞりながら離れて行った。
だがそれよりも、月はLの言に気を取られてただ漫然とそれを見つめる。
「君が、僕を友達だと。
出来ればずっとずっと友達で居たかった、と」
「……」
「そう、言ってくれたから。
だから僕は、君に着いて来たんだ」
月は困惑したが、目を上げるとLも少し苦しげに俯いて湯の表面を見つめていた。
少なくとも今は月を揶揄っているようには見えない。
『君に出会って、初めて人に興味を持ってしまったんだ』
そう言った時のように。
「僕は、身内以外の人間に好意を示された事がなかった」
「そ……」
「そう言えば、誰かに好意を示したのも、初めてかも知れない」
「……」
まるで女の子に告白されているようだ……。
月は所在なげに、天井やシャワーコックに目を遣る。
Lも相変わらず水面をじっと見つめていた。
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