家に帰っても晩メシがあるはずもなく、
せめて飲んだくれの親父が寝ていてくれと思いながら
団地の軋んだドアを開けると。
いつものゴミの匂いに混じって、一層酷い匂いが漂ってきた。
親父は望み通り寝ていた。
ゴミだらけの部屋の真ん中で、汚物を吐き散らして。
土色の顔をして。
……あ~あ。
思ったことはそれだけだった。
あ~あ。
誰がこれ掃除すんだよ。
敢えて感想をつけるならそんな感じ。
あ~あ。
こんな汚ねー部屋に、知らない人呼びたくねーな。
ひゃくとーばんなんかしないで、このままどっか行っちゃおうかな。
しばらくして、夏比古や瑛二と会った。
「もう学校来ないの?」
「あー。めんどくせー」
「どうやって、どこで暮らしてるの?何食べてんの?」
「いろいろ」
ふと見ると瑛二は、いつの間にか涙をぽろぽろ流していた。
「あれ、何?泣いてんの?ばかじゃん?」
「泣いてなんか、ない!」
「泣いてんじゃん」
「帰る!」
怒って背を向けて。
今でも、あの時なんで瑛二が泣いていたのかよく分かんない。
それでも遠ざかって行く背中を見ていると何か、胸がじんわり温かくなって。
アイツだけは、ずっと俺が守ってやろうと思った。
「高橋君」
「ん?」
残っていた夏比古も、えらく沈んだ顔をしていた。
「んだよ。おめーまでそんな顔すんなよ。おまえと俺とおそろじゃん?」
とは言っても、夏比古の母親は俺の親父なんかとは比べちゃいけない程
キレイで、上品で優しい人だった。
それに死体が出てきた訳じゃないから、死んだかどうか分からないし。
けれどいなくなった時。
夏比古は物心ついてから初めて取り乱したと思う。
そしてこれからもずっと、あんなに感情的になる事はきっとない。
「お母さんは、生きてるよ」
「うん…そうだよな」
「高橋君、信じてないだろ」
「いや、うーん……」
「これから言う事、誰にも言わないでくれる?」
自分なんか、生きていてもしょうがねーってどこかで思っていた。
けれど、こんな俺でも誰かの役に立てるって。
俺にも出来る事があるって。
「……それ。本気?」
夏比古はただ笑った。
コイツは、そんなガキっぽい冗談は言わない。
「俺達がハタチになる位までに目途をつけたい」
「ハタチって何?」
「にじゅっさい」
「長げーな」
「うん。でも、やる事多すぎて、時間足りない位だよ」
夏比古の目は、遠い未来を確実に見据えていた。
子どもの目じゃなかった。
こいつなら、きっとやってのけるだろうと思えた。
親のいる、瑛二には言わないでおこうと目だけで伝え合った。
「んじゃ、取り敢えず五年で五百人位?」
「何とかなる?」
ガキが、金もないのに手足のように動いてくれる、しかも戦闘力のある人間を
大量に集めるのは恐ろしく難しいだろうと思う。
でも。
俺は夏比古達との少年時代を、このまま終わらせるつもりはなかった。
「何とかするよ」
・・・・・・・・・・・・・・
なつ…ひこ?
長い長い夢を、見ていた。
暴走族に入り、のし上がり、自分の配下を増やした、
あれは夢だったのか?
俺はまだ、自分の生き様も決められず迷っている子どもなのか。
けれど俺を見下ろす夏比古は、記憶よりずっと大きくなっていて、
そしてとても悲しい顔をしていた。
ああ。
そうか。
357は。突然暴れ出した中学生集団と対立して。
ああ。
俺、もう動けないや。
意識はあるのに、手足が全く動かせない。
夏比古。
おまえがこうして来たって事は、
そうなんだな。
そういう事なんだな。
「高橋君……」
ああもう。話し掛けるな。
おまえが直前に話した人間を消せる程冷酷なタイプじゃないってのは
俺が良く知っている。
ホントは、誰も殺したくも傷つけたくもないんだって事も。
だから酷いこと頼んだけど、おまえならどんなに苦しんでも逃げないだろ?
おまえ以外の人間には出来ない事なんだ。
「高橋君」
謝ったりすんなよな。
俺は自分で選んだ。
こんなザマになったのも自分のせいだし後悔とか知らねーし。
357、途中で投げ出すような形になって悪りーけど。
アイツ等なら、大丈夫だ。
数だってちょっとしたもんだろ?
「ありがとう……」
……死んじったらお終いだから。
あの世で見守ってるなんて、嘘でも言えねーけど。
おまえや瑛二と出会えて良かったよ。
子ども時代も、目的を持っていた暴走族時代も357時代も、楽しかったよ。
夏比古が屈み込んできた。
意識もなく、話も出来ない振りしてたけど、
唇が触れてきた時舌が震えたから、きっとバレたな、と思った。
今まで、どんな女としたよりも、
優しいキスだった。
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