【前夜】
「約束したじゃないですか。向こうの兵隊十人殺ったら一発って」
その夜夏比古の部屋に押し入った小春は、夏比古の向かいの
古いソファに体を投げ出し襟を寛げた。
「……いいんだけどさ、小春くんとヤッて生き残った女いないんでしょ?
出来れば事が成った後、まとめ払いしたいんだけど」
「それ。尼龍さん情報ですか?大げさだな」
「その歯で、噛み殺したとか」
「乳首は全部食べちゃいましたけど、直接殺してはいないですよ」
小春が特注の、インプラントの歯を剥き出す。
指を組むと、手首の辺りから油圧のシュゥと抜ける音と、
パーツが擦れる微かな金属音がした。
「てゆうか本気だったんだ。男もイケるの?」
「どちらでも良いんですよ。ここ女いないし」
小春は、立ち上がると夏比古の座るソファの肘掛に片膝を乗せた。
「それだけは不満ですが、いてもすぐに減るでしょうしね。
まあ感謝してますよ。助けてくれた事も、腕をくれた事も、
この天国に連れて来てくれた事にも」
機械の指を伸ばして、夏比古の頬に触れる。
「戦場ではいくら殺しても罪になりませんし」
「今更でしょ。何人殺ったのよ」
「祖国で暴れたのと、357を使ったの合わせたら軽く四桁でしょうが……
錦糸町だの新宿だのでは、ケーサツってのがありますから。
殺したら逃げないといけない。この国の方がずっと自由です」
「自由の国、DPRK、か」
夏比古は、偽物の青い目を閉じた。
「その自由を、俺はぶっ潰そうとしてるんだけどね。
人を攫うのも殺すのも犯すのも自由、そーゆーの、好きくないんで」
「僕は好きですけどね」
「小春くん、この国の人になれば?」
「考慮中です。あなたの首を持っていけば、VIPですし」
小春は、夏比古の頬や首筋を撫でていた指に、力を込めた。
樹脂の指は、機械らしい一定の力で夏比古の喉を締め上げる。
「やめ……」
「ねえ。本当にヤらせて下さいよ。あなた超マゾでしょ?
僕、自分で言うのも何ですけどちょっとサドっぽいんで、きっと相性良いですよ」
「……ぽい、なんてもんじゃねえでしょ」
「はははっ」
夏比古が撓めた膝を蹴り出すと、小春はテーブルを倒して吹き飛んだ。
室内に、お互いの荒い息の音だけが響く。
「……こっちこそマジでさ。あいつ殺すまでは待ってよ」
「……」
「この国何とか出来たらさ、俺の体なんかいくらでもやるから。
君の好きな人頭アボカドもさせてあげるよ」
小春はゆっくりと立ち上がると、タトゥーだらけの生身の手で、
黒髪をかき上げた。
「分かりました。その時は、明浩さん縛り付けてその前でやらせて下さい。
あの人鬱陶しいんで」
夏比古が分かった分かったというように手を振ると、
小春はドアに向かった。
その背に、夏比古が思いついたように声を掛ける。
「あ。そうだ」
「気が変わりました?」
「いや、明日、尼龍とか瑛二とか、来るよ」
「は?」
久しぶりに尼龍の名を聞いて、小春の機械の腕が疼く。
いや、二度と聞く事もないだろうと思った名だった。
「どうやって連絡取ったんですか?」
「三年くらい前に、明日DMZに来るように言った」
三年も前の、しかも一方的な約束が守られるのか、とか。
それ以前に、そんな昔に決行日を決めていたのかとか。
小春らしくもなく、ノーマルな疑問が頭に浮かぶ。
だが、夏比古の計算と計画は今まで外れた事がない。
頭脳ではやはり、敵わない。
それでも、人は計算どおりには動かないものだ。
平和に暮らしているであろう尼龍や瑛二が、国境を越えて来るとは思えなかった。
「……まあいいですけど。
尼龍さんが来たら、ちょっと殺しちゃいますね」
「自分の役割を守ったら別に構わないよ」
夏比古からは、小春が尼龍を殺せるとは全く思っていないであろう
無頓着な答えが返ってきた。
当の小春も、明日はそんな暇はないだろうとは思う。
だがせめて自分が生きている姿を見せつけたいと願った。
「じゃ。尼龍さん達が来たら、教えて下さい。
僕は明日の蜂起に備えて寝ます」
「うん。おやすみ」
「……天が、我々をお救いくださいますように」
「天が我々をお救いくださいますように」
小春は、天に近づきたいと思った事も、救われたいと思った事もない。
良心も人間性も持ち合わせない。
だが、自らの持てる全てを一滴残らず絞り出した人間を、
その上で天に祈る人間を、初めて見て、美しいと思った。
……まあでも、僕の上に立つ人間は僕の人生に必要ないんで。
夏比古の首を獲れるなら、国の一つや二つ潰してやる、
小春は湧き出る笑いを抑えようと顔を歪めながら、自らに与えられた部屋に向かった。
--了--
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