【Laugh fight】
「ああ……もう20年か……」
衛星放送のTV番組を見ていた夜神が、珍しく独り言を言った。
「20年前の今日、ソビエト連邦が崩壊した」
「ああ。らしいですね。覚えてるんですか?」
「その事自体はあまり覚えてないんだけどね。ちょっと面白い事があって」
一つの大国の崩壊。
めでたい事だとか、その逆だとか、一概に言える事ではないが
少なくとも面白がるような事ではない。
「違うよ。丁度その日、従兄弟のお兄さんが遊びに来てたんだ。
で、父が、渡しそびれていた中学の入学祝いを勿体ぶって渡した」
「はい」
「以上から類推出来る『面白い事』とは?」
「は?」
思わず眉根を寄せてしまったが、夜神は涼しい顔をしている。
「ちょっとしたクイズだよ」
「……あなたの話のオチに興味ありませんし、上から目線で
クイズなんか出される立場でもないと思います」
「分からないなら良いよ」
分からないんじゃなくて考える気がないんだと、言えば
私が一方的にムキになっているようになってしまう。
それでもワイミーズハウスにいた頃は無視しておけば良かったが、
なまじLが認めた頭脳の持ち主だけに、そうも行かなかった。
「負けたくない」という感情を、頭では理解しているつもりだったが
実際自分の中に湧くと、分かっていなかったな、と思う。
……何となく、メロと話したい気分になった。
「どう?」
「簡単です。Mr.ヤガミのプレゼントか、その渡し方かどちらかが
ソ連崩壊と関係あるんですよね?」
「まあ、そうだ」
ゴルバチョフグッズ……いや、それでは面白い話にならないか。
ソ連と中学生……世界史か地理の学習でしか繋がりがなさそうだな。
夜神の従兄弟とやらの片親がソビエト人だとか、
ロシアの特殊な格闘技か楽器を習っていた、という可能性もあるが
それは一旦置いておいて……。
いや。地理、か?
ひらめいて、そろりと夜神の方を向く。
「その従兄弟が貰ったのは、高価な世界地図……例えば地球儀などですか?」
夜神は笑いながら頷いた。
図星だったらしい。
「さすがニアだな」
「別に。一番可能性が高い事を言ったまでです」
「父が地球儀を買ったのが、四月。
夏休みを利用してうちにやってきた従兄弟は、立派な地球儀を見て大喜びだったんだ」
夜神の生家を、私は知らない。
Lは監視カメラを通して行った事があるかのように把握したらしいが。
「早速日本はどこ、アメリカはどこ、ソビエトは、って探して楽しんでたんだけど、
丁度その時、TVのニュース速報で……」
「ソビエトが崩壊したと」
「そう。その瞬間、みんな静かになって。その時の空気といったら」
夜神が自分で言って、笑い出した。
せっかくのプレゼントが、その瞬間に意味のない物になった事を知った従兄弟は
落胆したのだろう。
私自身は、五歳の頃には頭の中に地球儀があったし、ソビエトなど知らないので
その気持ちは分からない。
だが、笑って良い事でも笑える事でもないような気がした。
一人で笑っていた夜神が、不意に真顔になって私を見る。
「面白くない?」
「生憎、他人の失敗や落胆を笑う回路がないもので」
「……随分詰まらない人生だな」
「そうですか?性格悪い笑いに包まれているよりずっと良いと思いますけど」
「ああ、それでニアは笑わないのか」
「は?」
何かしたり顔で言われて、思わず声が尖る。
何も言わなくても、夜神が私に対する攻撃材料を見つけた事は分かった。
案の定、「微笑は別だけど」と前置きをして、夜神は私に
自説を押し付け始める。
「笑いというのは基本、他者の劣性に対するものだよ。
じゃなければ自虐の笑いだけど、それも自分を客観視しているというだけで
侮辱的な構造は同じだ」
「本当に、性格悪いんですね」
「なら、それ以外の笑いってある?」
あるに決まっている、と言う前に、用心深く考える。
何か揚げ足を取られては敵わない。
「……動物の可愛い仕草を見て笑うとか。
あと、日本の若い女性は箸が転がるのを見て笑うらしいじゃないですか」
「可愛いという感覚自体が、目下の者に対する評価だよ。
箸が転がるのも、小物風情が転がってやがるというだけの事。
ガスタンクが転がり出したら笑えない」
「……」
反射的に言い返そうかと思ったが、その前に、今まで見た笑顔の裏には
確かに全てそれらしい事情があった事に気付く。
知らない間に、顔に絵の具がついていたナンシー。
犬のくせに転んだアッシュ。
ハロウィンではチョコレート獲得に、全力を注いでいたメロ。
そこには、沢山の笑顔があった。
みんな、腹を抱えて笑っていた。
それは確かに全部、他者の迂闊さ、無様さ、馬鹿馬鹿しさがターゲットだったが。
そこに流れていたのはこの上なく幸せで円満な空気であったのも確かで。
……笑えなかった自分が、その空気に混じれていなかったのも確かで。
「おまえだって、YB倉庫で僕と相対した時は笑った」
「はい」
「自分の計略に填まりにのこのこ来やがった、と思ったんだろう?」
「……はい」
頷いてばかりなのが腹立たしいが、
キラ事件に関わっている時、私がそれまでになくよく笑ったのは事実だ。
「勘違いするなよ?笑いは、確かに相手をバカにするものだけれど
全然悪い事じゃないんだ」
「……バカにするという時点で最悪ですけどね」
「お互い様という奴だ。お互いの無様さを笑い合って、受け容れあって
仲良くなっていくものだよ。人間」
「下らない馴れ合いです」
「馴れ合いの何が悪い?
笑うというのは、相手に対する警戒を解くという事、武器を捨てるという事なんだ」
あの時、私は夜神に対して警戒を解いていただろうか?
……警戒を、解いたつもりはなかったが、既に恐れてはいなかった。
自分が勝つことが分かっていたので。
だから、笑った。
笑って、おまえなど怖くないと夜神に伝えたかった。
それは、「仲良くなる」というメソッドとは逆ベクトルだが、警戒を解いている
振りをしたかったのは間違いない。
今は警戒を隠す必要もないが……。
「なるほど。私にはそうしたい相手がいないので、
笑えないのも無理はないですね」
悔しいが、私は心底納得していた。
だが、夜神は困ったように笑って私の頭を撫でる。
その手を、勢い良く払いのけた。
「やめて下さい。
あなたが私に向かって笑う度に不快な気分になる理由も分かりました。
あなた、私を見下してるんですね?」
「……年下だからね。僕より弱く、経験値が低く、守るべき存在だと思うよ」
「もう一度言います。不快です。
あなたは一度、私に負けているんですよ?」
「分かってるよ。でも僕は、おまえが嫌いじゃないよ」
そんな、こちらが拒否反応を見せても意にも介さない態度がまた
腹立たしいし苦手だ。
「いつか、対等な友人になれたら良いと思う。
酒を酌み交わせるような」
「そんな日は来ません」
「そう?酒は苦手?」
「そういう事ではなくて!」
私が声を張り上げると、夜神がまた笑う。
きりがなかった。
やっぱりコイツは苦手だ。
「酒なら、飲めますがね」
「え?『ニアL』は法律遵守じゃなかったのか?」
「イギリスの法律なら五歳から飲めます。が、日本の法律でも飲めます」
夜神がこちらが驚く程目を見開いたのが、痛快だった。
「そう、なんだ。いつから?」
「……今日から」
「あ……今日って、そういう日だったんだ……」
しまった……。
釣られて、つい。
「ご想像にお任せします」
「ロシア連邦と全く同じ年なんだな。……ちょっとLも呼んで来る」
しばらく後、夜神はLを連れて、ワインとグラスを三つ持ってきた。
そんな、「酒を酌み交わす友人」のような真似をされても困るのだが
あのLと酒を飲める機会が訪れるとは思わなくて。
このチャンスを、逃せる程私はストイックではない。
それでも、一応渋い顔を作って見せながら、私は夜神からグラスを受け取った。
--了--
※前半の「笑いとは他者を見下すもの」というのは、中島/らもさんのエッセイから
お借りしました。
ちょっとタイトルも書名も忘ましたが、大体こんな感じだったかと。
最後が「赤ん坊の笑いだけは解析出来ない」みたいな締め方で素敵でした。
Lやニアは小さい頃からちょこちょこ嗜んでいて、酒豪だったりするかも。
メロはちょっとでも脳に悪そうな事は一切しなかったんで意外と下戸とか。
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